195 旧国鉄福山線(のちの松前線)・「白神トンネル工事」の悲劇。

吉岡村から松前町への鉄道延伸工事で最大の難関は、「白神トンネル工事」(吉岡―白神間)であった。この工事は、吉岡村字美山から山を貫き大沢村字鱸の沢までを最短コースで掘るもので、その延長は2980㍍あり、鉄道トンネルでは当時としては北海道で2番目の長さであった。そのため工事の困難が見込まれるので、鉄道省北海道鉄道局工事部が直営で昭和13年10月から開始され、付帯工事は札幌・地崎組が担当した。この美山一帯は、道南地方では最も古い地層の古生層・福山層・吉岡層・訓縫層等が複雑に入り組んでいて、当初から工事の困難が予想されていた。昭和16年11月15日午後4時30分頃、入口から1370㍍の地点で岩盤の崩落があり、作業員60余名が埋まり、懸命の救出作業にもかかわらず、翌日までに7名の尊い犠牲を払うという事故が起きた。そして、昭和18年9月にこのトンネルは5年の歳月をかけて完成した。しかし、戦時資材不足のため列車が走ることはなく、西隣の渡島大沢駅まで列車が開通したのは、戦後の昭和21年12月6日であった。さらに終着駅の松前駅までの開通は、昭和28年11月であった。ちなみに廃止されたのは、昭和63年2月1日である。

●現在の「白神トンネル」入口(蓋をしていて中には入れない)
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●トンネルの近くに今もある「白神隧道殉職者碑」
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