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今日は、「松前町の専念寺で今年も“国鉄松前線敷設工事殉難者慰霊祭”開催」の話題を一つ。北海道最南端の町・松前町の専念寺で今年も「国鉄松前線敷設工事殉難者慰霊祭」が開催された。この慰霊祭は、第二次世界大戦さなかの昭和16年~20年にかけて当地域沿線の軍需物資運搬目的の国鉄松前線敷設工事のため強制連行され亡くなった朝鮮人・中国人・日本人若干…
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5月11日(土)、江差町に私用があり、その帰りに木古内町に寄ってきた。木古内町は、昔から交通の要衝で、国鉄(JR)時代は、松前線(昭和63年2月1日廃止・50.8㌔)や江差線〈木古内―江差間〉(平成26年5月12日廃止・42.1㌔)の分岐駅であった。また、平成28年3月26日には北海道新幹線(新青森―新函館北斗間)の開業に伴い北海道最初…
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今回紹介するのは、旧国鉄松前線の「千軒駅」の〈駅備え付きスタンプ〉(昭和52年1月19日押印)である。この駅は、昭和13年10月21日に、国有鉄道福山線の“渡島知内駅―当駅間”の開通に伴い、「碁盤坂駅」として開業、昭和28年11月8日、国鉄福山線が国鉄松前線に改称、昭和47年3月15日、「碁盤坂駅」が「千軒駅」に改称、昭和63年2月1日…
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今回紹介するのは、旧国鉄松前線の千軒駅で発行した〈硬券切符/B型券〉の「千軒から渡島福島ゆき」(190円)である。ちなみにこの両駅は、昭和63年2月1日に全線廃止になった『国鉄松前線(33.2㌔)』にあった駅である。
●〈硬券切符/B型〉千軒から渡島福島ゆき
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今日は、「国道228号の“福島町松浦―松前町白神間”約11㌔、旧JR松前線跡を活用して新国道を整備」の話題を一つ。海岸沿いを通り落石などによる通行止めが相次いでいる国道228号の“福島町松浦―松前町白神間”約11㌔について、北海道開発局は危険個所を迂回する新たな国道(防災道路)を整備する方針を固めた。それによると、山間部を通る旧JR松前…
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今日は、「福島町で“第36回殿様街道探訪ウォークin秋”開催される」の話題を一つ。松前藩主らが通ったとされる旧街道を歩く「第36回殿様街道探訪ウォークin秋」が10月22日(土)、渡島管内福島町千軒の大千軒岳麓で開催された。この日は、地元福島町のほか、函館や松前など町内外の40人が、赤や黄色に色付き始めた木々を眺めながら、また、旧国鉄松…
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今回紹介するのは、昭和39年11月に〈国鉄青函船舶鉄道管理局〉から発行された職員用の「区間粁早見表」である。この「区間粁早見表」は、一枚物で、長万部機関区に勤務していた人が持っていたもので、管内(函館本線・江差線・松前線・瀬棚線)の粁程表や速度表、方面別実粁換算表(D51・D52・C62)等が載っており貴重な鉄道資料といえる。
●…
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このカラー写真は、昭和55年に国鉄江差線の“上磯―茂辺地間”で撮影された3両編成の急行「えさし+松前」(キハ45系+キハ20系)である。急行「えさし」(函館―江差間)は、昭和43年10月1日に準急から急行に格上げされが、昭和55年10月1日のダイヤ改正で廃止された。また、急行「松前」(函館―松前間)は、同じく昭和43年10月1日に準急か…
今日は、「福島町に残る“旧国鉄松前線跡”、散策会でにぎわう」の話題を一つ。渡島管内福島町の地域住民らでつくる福島町千軒地域活性化実行委員会主催の散策会が10月23日行われ、参加した約30人は7㌔余りの山道を3時間40分かけて歩いた。途中には、昭和63年2月1日に廃止された「旧国鉄松前線」(木古内―松前間・50.8㌔)の「橋梁」が当時のま…
10月9日(土)、コロナ禍の影響で久しく遠出しなかったので、しばらくぶりに家族4人で函館近郊の江差町と木古内町に行き「鉄道資料室」を見学してきた。江差町の「鉄道資料室」は、明治20年に建てられた旧檜山爾志郡役所内にあり、平成26年5月12日に廃止された〈旧江差線(木古内―江差間・42.1㌔)〉に関する資料が数十点展示されている。ちなみに…
今回紹介するのは、旧国鉄松前線「渡島福島駅」の〈ミニ駅名標〉である。「渡島福島駅」は、昭和17年11月1日に国有鉄道福山線の“碁盤坂駅(後の千軒駅)―渡島吉岡駅間”の開通に伴い、一般駅として開業した。その後、昭和28年11月8日に福山線が路線名を松前線(33.2㌔)に変更、昭和63年2月1日に松前線の全線廃止に伴い、廃駅となった。ちなみ…
●JR函館駅の横にある飲食店街〈ハコビバ〉の中にある「旧国鉄松前線&江差線待合室風休憩所」①
●JR函館駅の横にある飲食店街〈ハコビバ〉の中にある「旧国鉄松前線&江差線待合室風休憩所」②
●JR函館駅の横にある飲食店街〈ハコビバ〉の中にある「旧国鉄松前線&江差線待合室風休憩所」③
●JR函館駅の横にある飲食店街〈ハコビバ〉の中にあ…
平成14年12月23日、日本演歌の大御所・北島三郎の「北島三郎記念館」が函館市内のウイニングホール1階~3階にかけて開館した。中は、3フロア構成となっており、1階がエントランスおよびグッズショップ、2階が出生から現在にいたるまでの半生とディスコグラフィを歴史別に綴った「ヒストリーゾーン」、3階が代表曲のひとつである“まつり”の特別公演の…
北海道の山間のローカル線・国鉄山下線に、懐かしの急行「松前」が登場した。この急行「松前」は、昭和38年12月1日に、函館本線―江差線―松前線を経由して“函館―松前間”を結ぶ準急列車として、「松前」が新設された。そして、昭和43年10月1日には急行列車に格上げされ、“函館―松前間”を2時間8分で結んだ。列車編成は1両編成だが、“函館―木古…
北海道の山間のローカル線・国鉄山下線に、懐かしの国鉄松前線「さよなら松前線臨時列車」が登場した。この国鉄松前線は、“木古内―松前間”(50.8㌔)を走る、廃止基準をクリアしていたローカル線であったが、津軽海峡線開業等の諸事情により昭和63年2月1日をもって全線廃止された。今回は、その廃止無念の意味をこめて、前日の1月31日の廃止最終日に…
北海道の山間のローカル線・国鉄山下線に、懐かしの急行「えさし」が登場した。この列車は昭和35年10月1日に、毎日運行の臨時準急列車として“函館―江差間”に登場、翌昭和36年10月1日に定期列車となった。昭和38年12月1日には同一区間を運行する準急「おくしり」・同「ひやま」が運行を開始したが、昭和41年10月1日にはこれらの列車を統合し…
●道の駅しりうちと新幹線展望塔①
●道の駅しりうちと新幹線展望塔②
●新幹線展望塔
●道の駅しりうちの駐車場からは北海道新幹線の架線しか見れない
●旧JR松前線の渡島知内駅跡(現函館バス知内営業所)前にある復元駅名標の「渡島知内駅」①
●旧JR松前線の渡島知内駅跡(現函館バス知内営業所)前にある復元駅名標の「渡島知内駅」②
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●小公園にある「旧江差線レール」①
●小公園にある「旧江差線レール」②
●小公園にある「江差駅名標」①
●小公園にある「江差駅名標」②
●旧駅前にある「旧江差駅資料展示館・地域交流館」の外観
●旧駅前にある「旧江差駅資料展示館・地域交流館」の内部①
●旧駅前にある「旧江差駅資料展示館・地域交流館」の内部②
●旧駅前にある「…
旧盆の8月13日(火)、墓参りのため久しぶりに娘一家と函館から江差―松前―知内―木古内方面に行って来た。墓参りの帰り、最初に寄ったのが、旧JR江差線(平成26年5月12日廃止)の終着駅「旧江差駅跡」である。現在は、駅舎やホーム、線路はすべて撤去され、町営住宅が建っていた。駅舎跡の横は小公園になっていて、記念モニュメントとして駅名標・レー…
昭和63年2月1日をもって廃止された旧国鉄松前線の「渡島福島駅」は、北海道側の青函トンネル工事基地があった福島町にあった駅で、急行の停車駅で、また、列車交換ができた主要駅であった。駅が廃止されて31年、青函トンネルが開業して31年、私が仕事の関係で住んでいたのが36年、この町を離れて10年、いろいろと思い出多い町や駅である。
●国…
今回紹介するのは、〈ホーロー駅名板シミュレーター〉を使用して作成した「国鉄北海道・懐かしの“駅名板”」である。内訳は、『松前線(木古内―松前間・50.8㌔・昭和63年2月1日廃止)&江差線(木古内―江差間・42.1㌔・平成26年5月12日廃止)&瀬棚線(国縫―瀬棚間・48.4㌔・昭和62年3月16日廃止)&その他』の4路線である。
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今日は、「道南いさりび鉄道“旧国鉄急行色気動車”運行開始」の話題を一つ。道南いさりび鉄道が3月17日、旧国鉄時代の急行列車と同じ配色の気動車の運行を始めた。午後3時16分函館発木古内行きは、この日限定の「記念乗車証」目当ての鉄道ファンらで満員となった。ちなみに、クリームと赤の2色が特徴の急行は、かつて旧江差線や旧松前線でも走り(急行えさ…
続いては、「知内観光協会が旧JR松前線3駅跡地に“レプリカ駅名標”設置」の話題を一つ。旧JR松前線(木古内―松前間・50.8㌔)の廃止から30年になる昨年、知内観光協会は町内にあった〈森越・重内・湯ノ里〉の3駅跡地に、復元した「レプリカ駅名標」を設置した。これは、〈渡島知内駅〉に続く取り組みで、函館バス知内出張所前に設置された同駅の「レ…
今日は、「道南いさりび鉄道“急行形車両塗色”で運用開始」の話題を一つ。道南いさりび鉄道では、保有するキハ40形気動車9両のうち1両(キハ40-1798号機)が、このたびの定期検査の後、旧国鉄時代の懐かしい「急行形車両塗色」で運用開始する。
○塗色説明
旧国鉄時代に登場したキハ56・キハ27と呼ばれる急行形気動車の塗色は、旧江差線…
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止された旧JR松前線の“函館―松前間”の〈車内行先表示板〉である。
●〈車内行先表示板〉函館行(表)
●〈車内行先表示板〉松前行(裏)
●国鉄時代の「松前駅」
今日は、「モニターツアー“津軽海峡・魅惑のローカル線の旅”参加者募集中」の話題を一つ。北海道と青森県は、北海道新幹線とローカル線を活用したツアーの可能性を探るのが狙いのモニターツアー「津軽海峡・魅惑のローカル線の旅」の参加者を募集している。全国の鉄道ファンの皆さん、モニターツアーなので、かなり旅行代金も安そうなので、参加してみては―。
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北海道における新幹線最初の駅および道南いさりび鉄道(旧JR江差線)の発着駅である「木古内駅」は、かつて〔松前線(昭和63年2月1日廃止・木古内―松前間・50.8㌔)〕と〔江差線(平成26年5月12日廃止・木古内―江差間・42.1㌔)〕が分岐していた駅である。その歴史は古く、昭和5年10月25日、官設鉄道江差線の終着駅として開業した。その…
この「渡島吉岡駅」は、青函トンネル工事北海道側基地の最寄駅であった。駅は、昭和17年11月1日に開業、島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅で、かつては、準急&急行松前の停車駅でもあった。昭和39年の青函トンネル本工事以来、全国からの作業員受け入れ駅として、また、青函トンネルの資材搬入駅として重要な役割りを果たしてきたが、昭和6…
続いては、「JR白老駅前の“SLポロト号”冬囲い」の話題を一つ。JR白老駅前の広場に展示されている蒸気機関車「SLポロト号」は、観光の目玉にしようと、白老町が43年前から保存と展示を続けているが、10月9日、保存会々員により冬囲いの作業が行われた。SLを覆うシートは長さ30㍍むの特注品で、作業はこの時期、白老駅前の風物詩となっている。例…
旧国鉄松前線(木古内―松前間・50.8㌔)は、昭和63年2月1日に廃止されたが、その遺構は現在も若干残っている。今回紹介する「櫃の下川橋梁跡」もその一つで、現在3本のコンクリート柱が残っている。、場所は、旧渡島大沢駅と旧及部駅の間にある。
●旧国鉄松前線「櫃の下川橋梁跡」①
●旧国鉄松前線「櫃の下川橋梁跡」②
●旧国鉄松前線「…
今日は、「木古内駅前の“名物焼きそば”、函館朝市に復活」の話題を一つ。昨年5月に閉店した木古内駅前の老舗食堂・駅前飯店急行の「名物焼きそば」の味を引き継ぐ飲食店・超特急やきそばが5月16日、函館朝市内にオープンした。この駅前飯店急行は、昭和31年に垣内夫妻が木古内駅前で開業、かまぼこ入りの「焼きそば」が看板で、全国の鉄道ファンにも大人気…
●ホールで開催されていた「江差線・松前線懐かしの鉄道写真展」⑥
●ホールで開催されていた「江差線・松前線懐かしの鉄道写真展」⑦
●ホールで開催されていた「江差線・松前線懐かしの鉄道写真展」⑧
●ホールで開催されていた「江差線・松前線懐かしの鉄道写真展」⑨
●来場者に配布された「来場記念証」
●会場で同時開催の「いさ鉄ギャラリー…
5月12日(土)、朝から天気がよかったので、妻と2人で久しぶりに木古内町郷土資料館・いかりん館に行って来た。今回は、4月28日(土)から開催されていた「江差線・松前線懐かしの鉄道写真展」が明日で終わるというので見てきた。私は現役時代、国鉄江差線の終着駅江差町に一時期住んでいたこともあり、また、その後国鉄松前線沿線の福島町には永らく住んで…
続いては、「松前町で“旧国鉄松前線建設工事朝鮮人犠牲者慰霊法要”行われる」の話題を一つ。戦時中に「旧国鉄松前線」の建設工事に従事して亡くなった朝鮮人労働者らの「慰霊法要」が5月3日、松前町内の専念寺で行われた。この日は、松前町長や駐札幌韓国総領事ら約60人が参列し、犠牲者の冥福や日本と朝鮮半島の平和を祈った。同寺では、慰霊碑を建てた昭和…
昭和63年2月1日に廃止された〔松前線(木古内―松前間)〕と平成26年5月12日に廃止された〔江差線(木古内―江差間)〕には、国鉄全盛期のころ、蒸気機関車が走っていた。形式は、五稜郭機関区配置の「C58形蒸気機関車」で、通勤・通学列車として、また、貨物列車として運行されていた。写真の国鉄松前駅の「C58形蒸気機関車126号機」は、昭和1…
昭和63年2月1日をもって廃止された〔国鉄松前線(木古内―松前間)〕の存続運動は、沿線4町の全町民を巻き込んでの廃止反対運動となり大きな盛り上がりをみせた。この臨時列車「乗って残そう松前線・スキー列車」は1人でも多くの人が松前線を利用してほしいとの願いをこめて、松前線存続期成会と動労青函地本が共闘して運行した臨時列車である。結果としては…
北海道唯一の城下町・松前町は、全国的にも有名な〈桜の名所〉である。かつてここを走っていた〔国鉄松前線(木古内―松前間)〕には、桜の期間中に臨時列車を毎年のように走らせた。今回紹介する快速臨時列車「松前観桜号」は、函館発8:14―五稜郭―上磯―木古内―渡島福島―松前着10:56・発14:32―渡島福島―木古内―上磯―五稜郭―函館着17:1…
今日は、「木古内町郷土資料館“いかりん館”来館者1万人達成」の話題を一つ。旧鶴岡小学校を活用し、平成27年3月に開館した木古内町郷土資料館「いかりん館」の来館者が1月15日、1万人を達成した。旧江差線の鉄道関係資料や、町内の縄文遺跡の出土品などの展示が観光客らの人気を集めている。ちなみに入館料は無料で、町内のサラキ岬沖で沈んだ幕末の軍艦…
現在、北海道新幹線の北海道最初の駅として、また、第三セクター・道南いさりび鉄道の発着駅として、重要な位置を占めているのが「木古内駅」である。ここにはかつて、旧江差線と旧松前線の分岐駅だった関係で、昭和12年3月10日、「函館機関区木古内支区」が開設され、C11形蒸気機関車8両が配置されていた。戦後は国鉄となり、昭和36年4月現在の〈国鉄…
昭和63年2月1日をもって廃止された旧国鉄松前線(木古内―松前間)には、かつて急行「松前」という列車が運行されていた。この急行は昭和38年12月1日のダイヤ改正により、“函館―松前間”の準急として誕生、昭和43年10月1日に急行に格上げされた。“函館―松前間”の所要時間は2時間8分で、停車駅は〔函館駅―上磯駅―木古内駅―湯ノ里駅―渡島福…
かつて、旧松前線(木古内―松前間・昭和63年2月1日廃止)の“白符―渡島吉岡間”に「宮歌川橋梁」(164㍍)があった。眼下には宮歌という集落があり、橋梁は河口の入江埋め立ての上に建っていた。私は、この橋梁があった福島町に仕事の関係で36年間住んでいたので、見慣れた懐かしい風景である。写真は、白符トンネルをでると、眼下に宮歌集落、そして国…
「JR木古内駅」は、北海道南部の木古内町にある駅で、北海道新幹線は〈はやぶさ&はやて〉合計13本のうち、8往復16本が停車する。また、当駅では上下の貨物列車が交換を行っており、下り貨物列車の大半が当駅に運転停車する。在来線は道南いさりび鉄道線、新幹線は北海道新幹線を所属線としており、これらに津軽海峡線を加えた3路線が乗り入れている。また…
吉岡村から松前町への鉄道延伸工事で最大の難関は、「白神トンネル工事」(吉岡―白神間)であった。この工事は、吉岡村字美山から山を貫き大沢村字鱸の沢までを最短コースで掘るもので、その延長は2980㍍あり、鉄道トンネルでは当時としては北海道で2番目の長さであった。そのため工事の困難が見込まれるので、鉄道省北海道鉄道局工事部が直営で昭和13年1…
昭和28年11月8日全線開通した“旧国鉄松前線”の終着駅・松前駅の手前に、かつて「松前トンネル」というトンネルがあった。この「松前トンネル」の上には、国指定文化財の松前城本丸御門や北海道唯一の城である松前城(復元)を含む史跡公園(現在は北海道遺産になっている)があり、その下にトンネルを掘るということは、現在では文化財保護の観点から考えら…
この「犬箱」は、かつて旧国鉄松前線(昭和63年2月1日廃止)の“森越駅”で実際に使用されていた「犬箱」である。この「犬箱」は、犬を鉄道で運搬する時に使用したもので、現在では非常に珍しいものといえる。ただ残念ながら、いつからいつまで使用されていたかの詳細については定かではない。この実物は現在、渡島管内知内町の郷土資料館に展示保存されている…
今回紹介するのは、〈知内町郷土資料館〉から出された「第26回特別展・思い出の松前線~松前線のあゆみ-廃線になって20年-~」の解説文である。この「国鉄松前線」(50.8㌔・12駅)は、昭和63年2月1日をもって廃止された路線で、知内町内には4駅(森越駅・渡島知内駅・重内乗降所・湯ノ里駅)があった。
●第26回特別展「思い出の松前線…
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館」⑦
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館」⑧
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館」⑨
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館」…
●旧国鉄松前線「渡島知内駅跡」は、代替バス会社の営業所として使用されている
●「代替バス営業所裏」の線路跡(松前方面)
●「代替バス営業所裏」の線路跡(木古内方面)
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館」全景
●〈旧国鉄松前線・知内町内駅関係資料〉を多数展示保存している「知内町郷土資料館…
●「旧湯ノ岱駅」の現状①
●「旧湯ノ岱駅」の現状②
●「旧湯ノ岱駅」の現状③
●「旧湯ノ岱駅」の現状④
●「旧湯ノ岱駅」の現状⑤
●「旧湯ノ岱駅」の現状⑥
●「旧湯ノ岱駅」の現状⑦
●「旧湯ノ岱駅」の現状⑧
●「旧湯ノ岱駅」の現状⑨
●「桂岡駅入口」の案内板は当時のままある
●「旧桂岡駅」は、駅舎も線路もすべて撤去された①
●「旧桂岡駅」は、駅舎も線路もすべて撤去された②
●「旧桂岡駅」は、駅舎も線路もすべて撤去された③
●当時のままの「天の川橋梁」①
●当時のままの「天の川橋梁」②
●「湯の岱駅入口」の案内板は当時のままある
●「旧湯ノ岱駅舎」は、代…
9月24日(日)、江差町に私用があったので、家内と2人で車で行って来た。私用を終えての帰り、久しぶりに「旧JR江差線跡(木古内―江差間)〈平成26年5月11日廃止〉」と「旧国鉄松前線跡〈昭和63年2月1日廃止〉」を回ってきた。
●“江差―上ノ国間”にある現在も当時のままの「旧椴川橋梁」①
●“江差―上ノ国間”にある現在も当時のま…
●JR函館本線・姫川駅
●JR函館本線・鷲ノ巣駅
●JR留萌本線・増毛駅
●JR江差線・木古内駅
●JR江差線・渡島鶴岡駅
●JR江差線・吉堀駅
●JR江差線・神明駅
●JR江差線・湯ノ岱駅
●JR江差線・宮越駅
●JR江差線・桂岡駅
●JR江差線・中須田駅
●JR江差線・上ノ国駅
●JR江差線・江差駅
●JR…
続いては、「朝鮮人慰霊祭、函館市内で開催」の話題を一つ。津軽海峡を望み、夏草が生い茂る函館市船見町。観光地として知られる外国人墓地近くの小さな納骨堂で8月5日、朝鮮語の読経が響いた。これは、朝鮮総連函館支部が、平成3年から毎年行なっている朝鮮人の慰霊祭で、旧国鉄松前線の建設工事で犠牲になった6人と、朝鮮半島の南北統一を待ち望みながら日本…
今日は、「元木古内駅前食堂急行の店主、垣内さん亡くなる」のニュースについて。知る人ぞ知る、全国鉄道ファンの間では有名だった、元木古内駅前食堂「急行」の店主垣内さん(88歳)が5月16日亡くなった。この食堂は昭和31年、垣内さん夫婦がはじめ、店名の「急行」は当時の木古内駅に“急行が停まるよう”願いを込めて名付けたそうだ(現在の木古内駅は急…
今回紹介するのは、かつて“国鉄松前線”で使用されていた「函館行&松前行」の〈原寸大レプリカサボ〉である。この〈サボ〉は、昭和28年11月8日に“松前駅”が開業し、昭和63年2月1日に廃線になるまで使用されていたものである。
●〈原寸大レプリカサボ〉(表)函館行
●〈原寸大レプリカサボ〉(裏)松前行
●国鉄松前線の終着駅「松前駅…
今回紹介するのは、かつて“国鉄松前線”を走っていた急行「松前」の〈原寸大レプリカサボ〉である。“国鉄松前線“は、昭和12年10月12日に着工、戦後の昭和28年11月8日に全通した。しかし沿線人口の減少や国道整備によるマイカーの普及等により、昭和63年2月1日に廃止となった。ちなみにこの急行「松前」は、昭和43年10月1日に準急「松前」か…
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった“国鉄松前線”の「存続運動関係資料」である。当時私も役場にいて、それなりに関わってきたこともあり、鉄路存続の難しさは思った以上である。現在北海道内では、約半数の鉄路が“廃止・バス転換”の危機にあるが、双方の理解と歩み寄りが大事だと思う。
●国鉄松前線存続運動関係資料①(存続期…
今回紹介するのは、昭和60年頃国鉄青函船舶鉄道管理局が作成したリーフレット「道南の観光~はこだてとその周辺~」である。渡島桧山管内図の中に道南の見どころや観光モデルコースが紹介されており、今は廃線となった「国鉄瀬棚線(昭和62年3月16日廃止)&国鉄松前線(昭和63年2月1日廃止)&国鉄江差線(平成26年5月12日廃止)」の沿線観光地も…
今回紹介するのは、JR函館駅2階の書店で購入した昭和63年頃の㈱函館バスの「スタフ(木古内―松前出張所間)」である。この昭和63年は2月1日に“国鉄松前線(木古内―松前間)”が廃止となり、バスに転換された年である。この「スタフ」には、木古内駅到着の“快速海峡&普通列車”の時間が手書きで書かれている珍しいものである。
●㈱函館バス「…
明けましておめでとうございます。今年も地域に密着した“鉄道関係ブログ”を書きたいと思ってます。本年もよろしくお願いします。今日は、「いかりん館来館者8割増」の話題を一つ。旧鶴岡小学校(この地区は明治に入り山形県の旧鶴岡藩士が開拓した所である)を活用して昨年3月に開館した木古内町郷土資料館「いかりん館」の利用が好調で、今年4~11月の来館…
今回紹介するのは、「オリジナルポストカード(3種類)」である。この「ポストカード」は、過去に撮った写真の中から気に入ったのをテーマごとに分けて毎年作成しているものである。今回は少し時間があったので、「懐かしのJR留萌本線・増毛駅(3枚)」と「懐かしの旧国鉄松前線・渡島福島駅(2枚)」、それと「JR貨物の機関車(1枚)」の3種類を作成した…
今回紹介するのは、JR北海道から発売されたオレンジカード1000「旧松前線を行くⅡ~白符~渡島吉岡間宮歌川橋梁のキハ40~昭和61年頃」の使用済である。私は現役時代、仕事の関係でこの橋梁があった福島町に36年間住んでいたので、この列車にも何回も乗ったし、廃線後は何回も車で通ったところである。これを見ていると、当時の事を思い出し、私にとっ…
続いては、「殿様街道に残る旧国鉄松前線鉄橋」の話題を一つ。私が現役時代36年間住んでいた渡島管内福島町には、江戸時代、松前(松前町)と箱館(函館市)を結んだ27里(106㌔)の街道のうち、一部がほぼ当時の状態で残っている。この街道は、北海道の名付け親松浦武四郎や間宮海峡を発見した間宮林蔵、精密な日本の沿岸地図を完成させた伊能忠敬らが歩い…
かつて昭和40年代の北海道の鉄路は、全国鉄路2万㌔の約2割に当たる4000㌔を占め、道内至る所に伸びていた。しかし時代の推移に伴い、現在は2500㌔と約半分になり、JR北海道では経営難を理由にこれをさらに半分にする計画を立てている。このままで行くと、将来は北海道新幹線と主要都市を結ぶわずかな幹線しか残らなくなり、これも時代の流れとはいえ…
今回紹介するのは、㈱kATOから発売された〈Nゲージ〉りの「国鉄トラ90000形貨車2両セット」である。この「貨車」は、国鉄が昭和39年から昭和46年にかけて2436両が改造により製造された“17t積み二軸無蓋貨車”である。本形式は、“トラ23000形”および“トラ35000形”の改造により、紙の原料となるチップ(木材の小片)輸送用の“…
今回紹介するのは、かつて「国鉄松前線(木古内―松前間・50.8㌔)」を走っていた急行「松前」の「レプリカミニ愛称板」である。「旧国鉄松前線」は、昭和28年11月8日に全線開通し、昭和63年2月1日に廃止となったローカル線である。この列車は、昭和38年12月1日に準急「松前」として運行され、昭和43年10月1日に「急行列車」に格上げされた…
今回紹介するのは、「さよなら松前線乗車証明書」である。「国鉄松前線」は、「木古内―松前間」(50.8㌔)を結ぶローカル線として昭和28年11月8日に全線開通したが、沿線住民の減少やマイカーの普及等により昭和63年1月31日の運行をもって廃止となったのである。なおこの「乗車証明書」は、当日「さようなら列車」に乗車した人に配布されたものであ…
今回紹介する古いカラー写真は、昭和63年1月31日の「国鉄松前線渡島福島駅」での「さようなら列車セレモニー」の「カラー写真」である。この「臨時列車」は、当日、午前9時23分函館駅を出発、正午前松前駅に到着、駅前で「さようならセレモニー」が行なわれ、午後2時38分松前駅を出発した。途中、沿線各町の駅(渡島福島駅・渡島知内駅・木古内駅)でそ…
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって「廃線」となった「旧国鉄松前線」の福島町内における「4駅(千軒駅・渡島福島駅・白符駅・渡島吉岡駅)」の廃線前の情景カラー写真をパネル3枚に収めたものである。中でも「渡島福島駅」は、私の現役時代の勤務先があった関係で36年間住んでいて、この「旧国鉄松前線」には家族ともども大いに世話になったのであ…
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった「旧国鉄松前線」の「○○駅・指差確認看板」である。この「看板」も駅員手書きのものである。ただ残念ながら、この「看板」の使用駅は分からない。
●使用駅が分からない「指差確認看板」
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった「旧国鉄松前線」の「旧森越駅・発車時刻表(61.11.1改正)」である。この「発車時刻表」は、板に紙を貼り、それに駅員手書きの時刻を書いた非常に珍しいものである。
●非常に珍しい駅員手書きの「旧森越駅・発車時刻表」
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった「旧国鉄松前線」の「旧松前駅(?)・ホーム側添乗禁止看板」である。正確にはわからないが、多分「旧松前駅構内」にあったものと推察される。
●多分「旧松前駅構内」にあったと推察される「ホーム側添乗禁止看板」
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止された「旧国鉄松前線」の「旧千軒駅々員給与輸送袋」である。元々は、「国鉄北海道バス様似営業所」で使われていたものである。
●今では珍しい「駅員給与輸送袋」
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった「旧国鉄松前線」の終着駅「松前駅事務室」に貼ってあった資料3点である。
●現役時代の「国鉄松前駅」
①保守用車の使用・線路閉鎖及びトロリー使用列車間合表(木古内―千軒間・千軒―渡島吉岡間)
②昭和61年11月1日改正「松前線列車ダイヤ表」
③昭和61年11月1日改正・国…
今回紹介するのは、昭和63年2月1日をもって廃止となった「旧松前線」の「ミニマグネット駅名標(11駅セット)」である。この「駅名標」は、タテ5.5㌢×ヨコ9㌢の大きさで、プラ製、裏面には駅の開業年月日や廃止年月日等のデータが書かれている。私は、この「駅名標」と当時の「駅舎&駅名標カラー写真」を組み合わせて「写真パネル」に貼り付け、書斎に…
今回紹介するのは、JR北海道函館支社地方交通線対策室が出した「松前線ご利用のお客さまへ」という「国鉄松前線廃止案内」のB4の“チラシ”である。「国鉄松前線(全長50.8㌔)」は、青函トンネル開業目前の昭和63年1月31日の運行を最後に、51年間の歴史に幕をおろしたのである。この“チラシ”は、沿線の主要駅に置かれたもので、広く利用者に「廃…
この「旧国鉄松前線・未成線」は、第2次大戦中にマンガン等を輸送する目的で松前から原口まで建設が進められたが、結局戦争末期に中断され、現在はほとんどが国道228号線に転用されたが、一部の「遺構」がこの写真のように残っている。興味のある方は、ぜひ訪ねてみては。
●小尽内川橋梁跡①
●小尽内川橋梁跡②
●小尽内川橋梁跡③
●小尽内…
今日は、いよいよ明日“ラストラン”となった「JR江差線」について。JR江差線「木古内―江差間」(42.1㌔)は明日の運行を最後に「廃止」され、昭和11年の全線開通から78年の歴史に幕を閉じる。JR北海道による「鉄道路線廃止」は、平成7年の「深名線」(121.8㌔)以来だ。「木古内―江差間」の沿線3駅(木古内駅・湯ノ岱駅・江差駅)では当日…
今回紹介するのは、昭和63年1月31日をもって廃止となった「旧国鉄松前線」の廃止後の「各駅カラ―写真」である。内容は、全11駅のうち「森越駅」、「重内駅」、「湯ノ里駅」、「千軒駅」、「渡島福島駅」、「白符駅」、「渡島吉岡駅」、「及部駅」、「松前駅」の9駅の計22枚のカラー写真を、2枚の写真パネルに貼ったものである。駅舎やレール撤去前の写…
●「旧知内駅入り口」に貼ってあるサブちゃんのポスター
●「旧知内駅」に併設している「道の駅」(中にはサブちゃんの大型ポスターが数枚貼ってある)
●廃止された「旧知内駅構内」今回は、北島三郎と「知内駅」との関係について。皆さんご存知の、日本演歌界の大御所・北島三郎(愛称サブちゃん)の出身地は、今はなき「旧国鉄松前線・渡島知内駅」のあっ…
今日天気も良かったので、妻と2人で今月の14日をもって「廃止」となるJR津軽海峡線の「JR知内駅」に行ってきた。函館から車で1時間ちょっとの所にあり、平日にもかかわらず鉄道ファンらしき人が5・6人いた。この駅は、当初は「青函トンネル」における北海道側の保守基地の役割を担う「新湯の里信号場」として、昭和63年3月13日開設されたが、昭和6…
●津軽海峡線(左側・電化)と江差線(右側・非電化)の分岐点①〔昔は「松前線」もこの付近で分岐していた〕
●津軽海峡線(左側・電化)と江差線(右側・非電化)の分岐点②
●木古内駅方面
●北海道新幹線工事高架橋完成部分(木古内駅付近)
つぎの駅は、JR「木古内駅」である。この駅は、昭和5年10月25日に開業した歴史のある駅である。3面5線のホームのをもつ橋上駅で、青森行きの特急も止まる北海道玄関口の主要駅である。かつては、国鉄「松前線」(昭和63年1月31日廃止)の分岐駅でもあった。現在は、「北海道新幹線」の北海道側最初の駅「木古内駅」の建設および関連工事(高架橋工事…
今回紹介するのは、「青函トンネル」の開通により昭和63年1月31日をもって廃止された、旧国鉄「松前線・渡島福島駅発行」の「渡島福島駅⇔木古内駅間」の「子供用普通回数券10枚綴り(代金2900円)」である。この「回数券」の発行年月日は、昭和60年7月19日と同年9月6日の2種類で、枚数は100枚あり、すべて未使用である。ちなみに、私は今で…
今日は、以前この「ブログ」でも紹介した「旧国鉄松前線建設朝鮮人労働者慰霊法要」の様子について。戦時中、「旧国鉄松前線建設」の強制労働で犠牲となった朝鮮人労働者らの「慰霊法要」が、松前町内の寺で5月3日行なわれた。この日は、函館市の姉妹都市・韓国高陽市の住職らが参加する初めての「日韓合同法要」で、双方の僧侶、在札幌韓国総領事館総領事、地元…
今日は、昨日に引き続いてJR「江差線」の「木古内―江差間」(42㌔)の廃止状況について。全国鉄道ファンの皆さん、ついにJR「江差線・木古内駅―江差駅間」の「廃止日」が決まった。JR北海道社長は4月26日、鉄道事業法に基づく「鉄道事業廃止届」を北海道運輸局に提出した。それによると、同区間を来年5月11日まで運行して「廃止」するとの内容で、…
今日は、「旧国鉄松前線建設工事犠牲者慰霊法要」の話題を一つ。第2次世界大戦中の「旧国鉄松前線(昭和63年2月廃止)工事」で犠牲となった「朝鮮人労働者」らの「慰霊法要」が5月3日に松前町の専念寺で行なわれる。28回目の今回は函館市の姉妹都市・韓国高陽市の仏教関係者11人が出席、日韓両国の仏教関係者が初めて合同で法要を行なう。この「旧国鉄松…
今回紹介するのは、国鉄青函船舶鉄道管理局が発行した観光パンフレット「道南の観光」である。この「パンフレット」は、「道南地方(渡島地方・桧山地方・下北半島一部)」の代表的な観光地をカラーで紹介したものである。いつ頃のものかははっきりわからないが、今は懐かしい国鉄「松前線」(昭和63年2月1日廃止)の「碁盤坂駅」(昭和47年3月15日「千軒…
JR「五稜郭駅―木古内駅間」は、「青函トンネル」の北海道側の接続路線とされ、昭和63年3月の「津軽海峡線開業」に合わせて電化等の改良工事が実施され、本州と北海道を直結する幹線ルートの「津軽海峡線」の一部となった。一方、JR「木古内駅―江差駅間」は道道5号線「江差木古内線」が未整備であることもあり、非電化の「ローカル線」として取り残された…
今日は、全国鉄道ファンには、非常に悲しい「大ニュース」を一つ。以前から私も「ブログ」で何回も紹介した、JR北海道による廃止を打診されていたJR「江差線」の「木古内駅―江差駅間」(42㌔)について、沿線3町でつくる「対策協議会」は3月28日に会合を開き、この「廃止提案」を正式に了承した。これにより、同区間は平成26年5月までに「廃止」され…
今回紹介するのは、昭和53年4月現在の「函館駅」の「列車・青函連絡線発着時刻表」である。これは、地元新聞朝刊に折り込まれていた「時刻表」で、今は無き「青函連絡船」や「松前線」の「時刻表」が載っている懐かしいものである。
今回紹介するのは、「函館⇔上磯間」の「サボ」である。JR「上磯駅」は、JR北海道「江差線(津軽海峡線と共用)」の主要駅でかつては、国鉄「江差・松前線」を走っていた急行「松前」、「えさし」、「津軽海峡線」の快速「海峡」が停車していた。また、昭和63年に「津軽海峡線」の開業により電化された。この駅は、大正2年9月15日に「国鉄上磯軽便線(現…
今回紹介するのは、STV(札幌テレビ放送)から定価1980円で発売されたDVD「スイッチバック~北の鉄道~終列車」である。「内容」は、北海道廃止路線の記録第三弾で「胆振線」、「冨内線」、「松前線」、「瀬棚線」、「岩内線」、「歌志内線」、「函館本線上砂川支線」、「夕張鉄道」、「三菱鉱業大夕張鉄道」、「幌内線」と、鉄道ファンにはなつかしい8…
今回紹介するのは、函館駅キヨスクで購入した「ミニサボ(4枚)」である。この「ミニサボ」は、昭和63年廃線になった「松前線」と昭和62年廃線になった「瀬棚線」を走っていた「急行松前」、「急行せたな」、「松前行普通列車」の4枚の「ミニサボ」である。ちなみに、大きさは縦3㌢・横12㌢で材質は本物と同じである。
続いて紹介するのは、これも「青函トンネル」の開業により昭和63年1月31日をもって廃止となった「国鉄松前線」の「渡島吉岡駅(渡島福島駅の隣駅)」のNゲージサイズの駅舎である。この駅は「青函トンネル」の「北海道側工事基地」にあった駅で、多くの工事関係者か利用したのである。
続いて紹介するのは、「青函トンネル」の開業により昭和63年1月31日をもって廃止となった「国鉄松前線」の主要駅「渡島福島駅」のNゲージサイズの駅舎である(この駅の詳細については、以前書いたブログを参照のこと)。36年間住んでいた町の駅なので、毎日懐かしく当時を思い出している。
今回紹介するのは、各家庭に配布された福島町商工会発行の今は無き「松前線」の「福島町内発着時刻表」である。昭和63年1月31日に廃止されるまで町民の重要な足であった「松前線」であるが、「青函トンネル」の開業に伴いその歴史に終止符を打ったのである。今改めて見るとその時の様子が目にうかぶ。
当時の「時刻表」は次のとおりである。
函館行…
今回から私の所蔵している「鉄道関係文献」の中から、特に貴重だと思う「文献」を紹介したい。まず最初は、一見鉄道とは関係のないように見える昭文社発行の「昭和55年3月北海道道路地図」を紹介する。「道路地図」は当然一般道路や高速道路がメインだが、国鉄、私鉄も必ず載っている。この地図にも廃線により今は無い懐かしい「ローカル線」が数多く載っていて…
今日は「名物食堂」に関する話題を一つ。JR江差線と津軽海峡線の分岐駅「木古内駅」の前にある老舗食堂「駅前飯店 急行」が、北海道新幹線新木古内駅整備のため来年の6月にも町内の別の場所に移転するとのことである。食堂「急行」は、昭和33年に開業。名前のいわれは、いつの日か木古内駅にも急行列車が止まることを願って名付けたそうだ。これは後に願いが…